* この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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chapter1 ~ Distorted 歪 ~
page 08

リリスに促される行き交う人々を縫ってその人物に近づいてゆく、その先ににはオベリスクと呼ばれる直方体の巨大な石柱が、空に向かってそびえ立っていた。

そのたもとで長いマントの古風な衣装を身にまとった青年が、足元にひれ伏す男に何かを言っていたが、キリトにはその言語が理解できなかった。

 

青年のマントには大きな赤い十字が描かれていて、宗教的なシンボルであることはわかる。何処かで見た記憶のある装束、歴史の教科書や美術の絵画で目にした事があったと、キリトは記憶の映像と目の前の情景を重ねていた。

青年の手には青白く不気味に光を放つ剣をが握られ、片腕を伸ばした状態でひれ伏す男の方へ向け構えられていた。

足元で哀願する男は浅黒い肌色で痩せていて、中東ではよく見かける風貌の男だった。

歳は50歳半ばを過ぎたといったところだろう。

必至な形相で目の前に立ちはだかる青年の剣に怯え、必死に何かを叫んで哀願をしている。

Plaga ab agente - T-SEN
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「מייקל אנא סלח לי!(お許し下さい、ミカエル様!)」

リリスは、キリトがこの国の言語を理解する事ができずに、状況が呑み込めていないことを見て取り、同時翻訳プラグインをキリトのデバイスにインストールした。


 

男は何かの問題を起こしてしまったのだろうか、目の前に立ちはだかる青年の表情には険しさは無く、氷のように冷酷な目で男を見据えている。

 

このミカエルと言う青年を敵に回してはいけない… 生物が生まれついてから現在に至るまでの中で、DNAに刻みこまれた防衛本能がキリトにそっと囁きかけた。


 

「貴様は創造主の計画に背く行為をした… 神の代行者として神罰を与える」

 

「そ、そんな… 助けてください!どうかお許しを!!」

 

男の言葉はミカエルには全く届か無かった。

剣だけが男の叫びに答えるように、男の首めがけて振り下ろされる。

 

キリトは思わず目を背けた。

 

振り下ろされた剣の加速度と、その剣が首に当たった衝撃の作用反作用の法則による物理的な結果として、血しぶきをまき散らしながら、広場を行き交う人達の中へと男の首が転がり落ちる情景がキリトの頭の中で再生される。が、先ほどと変わらぬ喧噪だけが耳に届く。

 

人の死を目の当たりにする恐怖と、自分の目で確認しなければいけないと言う気持ちとが交錯しながら、ゆっくりと男の方へ視線を向けた。

そこには首を切り落とされた男の姿は無く、血で染まっているはずの石畳も、行き交う人々の靴によって磨かれ綺麗なままだった。

 

「え!?どういう事…?」

 

首を切り落された男の姿が消えた方を見つめながら、リリスに話しかけたがミカエルという名の青年の姿も見当たらない事に気がつく。

 

周囲を見渡し群衆の中の顔を一人づつ確認したが、ミカエルの姿はどこにもない。

サンピエトロ広場を行き交う人達の流れは、事件の前も後も何事も起きてはいないかのようにそれぞれの方向へ歩いていた。

キリトはたった今、自分の目に映っていたはずの情景が、実は脳細胞が作り出した幻想だったのではないかと疑いを持ちはじめたが、傍に居たリリスの深刻な面持ちを見て実際に起きた事だったのだと悟った。

何か重大な事が起きている。

このVRの世界で群衆が見ている中、公然と処刑が行われた理由とは… そしてあのミカエルと言う青年は何者なのか…


キリトは、呆然とその場を去ってゆく群衆を見ていたが、群衆の中に一人の少女の姿が目に留まった。
深い青色のベールを身に纏った少女の姿… 男の処刑を行った時ミカエルの傍にいた少女だと気付く。

キリトは直感でミカエルとの関係性がある人物に間違いないと感じた。

慌てて後を追おうとした時に、リリスが口を開く。

 「キリト、待って」

 「あの子は何か知ってるかもしれない!」

 「追ってはだめ。あのミカエルと言う男のマントの紋章覚えてる?」

 「マントの紋章? 確か十字、赤色の十字の紋章だったよね?」

 「そう、あの紋章はテンプル騎士団のもの」

 「テンプル騎士団?…」

ヨーロッパの騎士団が中世のフレスコ画なので描かれていることは知っていたが、今の時代に存在しているなんて寝耳に水だった。
リリスは困惑した表情でいるキリトに説明を続けた。

 「テンプル騎士団は、中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会で、神に仕える民を敵から守る役目として存在していた騎士団なの。」

 「さっきの男の人は神に背いたから処刑されたって事?」

 「くわしい事情はよく分からない… VRのアバターを消す理由って…」

また一人黙り込み、何かを考えるリリスを見つめながら、キリトの中に疑問が生まれる。邪魔をしては行けないと思いつつ、どうしても気になった疑問の種が、キリトの頭蓋骨を突き破ぶらんとする勢いで成長するのに我慢できず思わず尋ねる。

 「リリス、このVRの世界は何のために存在しているの?」

キリトの問いかけにリリスが重い口を開く。

 「この世界の存在理由…そうだね、キリトにはちゃんとした説明をしておく必要があるよね」

 「このVRの世界は『スイソウノ脳≒』と名付けられた仮想現実空間、実際の地球の姿を限りなく忠実に再現されたシミュレーター。現在の地球上の全ての生物をDNAレベルで分析し、その情報を元にプログラミングされたアバターと呼ばれる疑似生命体で構成されるコロニーなの」

 「スイソウノ脳≒…」

キリトは 初めて耳にする言葉に戸惑いを隠せなかったが、脳細胞に体中のエネルギーを集中させ理解しようとしていた。


リリスはそんなキリトの真剣な眼差しに促されるように話を続ける。


 「その目的は、現実の人間社会に蔓延する“悪意”と呼ばれる意識がどこから生まれるのか、人類の社会生活の中で何が起因となって争いが起きるのかを自然観察と実験観察の両面から分析するために開発されたシステムなのね」


 「人間の悪意…?悪い事を考える心って事?」


リリスが静かに頷く。

 「人間が互いに憎しみあったり、殺してしまいたいと思う感情。悪意や憎しみといった感情が大きくなれば、やがて戦争と言う殺戮行為へと繋がってしまう…湖面に広がってゆく波紋のように…」

そう言うとリリスの表情が悲しそうに曇り、二人の会話が途切れた。

キリトの頭の中では、この短時間で経験した色々な出来事が脳内のシナプスによってそれぞれ互いに結びつき、一つの大きな塊となってゆく…