* この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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chapter1 ~ Distorted 歪 ~
page 07

今日は休日だった為か、キリトはいつもの起きる時間より遅く目を覚ました。
少し寝すぎて霧がかかったような頭をスッキリさせたくて、冷たい水を飲もうとキッチンに入った。

休日のこの時間は、父がキッチンのテーブルでタブレット端末を片手にコーヒーを飲んでいるのだが、その姿は無く、テーブルにはラップで包んだサンドウィッチと何か書いてある紙片が置いてあった。


紙片には、父の読みにくい字で休日だけど研究室に行く用事が出来てすまないと書いてあった。
起きたばかりで食欲も無かったので、サンドウィッチには手をつけず父親のメモだけ裏返して同じ位置に戻した。
ウォーターサーバーから水を汲んで口に含んだが、あまり感覚がしなかったがそのまま飲み干すとコップをシンクにそっと置く。


頭がスッキリしてきたので自分の部屋に戻り、本棚からJ.D.サリンジャーの小説を取り出すとベッドの端に腰掛て、しおりの挟んであるページを開いた。

キリトはJ.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読むのはこれで3度目だが、小説中に出てくる言葉がとても好きで、何度読んでも心に響く。

  『僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えた…』

特にこの言葉がお気に入りだった。

その時、玄関のチャイムが鳴る。
何だろう?と思いながら、玄関先のインターホンを確認すると宅配便の制服を着た男がモニターに映っていた。

受け取った荷物の差出人は父の働いている研究所からで、受取人はキリト宛てになっていた。

 「父さんの研究所から… 僕になんだろ?」

厳重に梱包されている段ボールの箱を空けるために、カッターナイフを取りに部屋に戻った。その時、机の上に置いてあった携帯電話が鳴った。


 「キリトか?欲しがっていたVRデバイスは届いたか?予定ではそろそろ着いてる頃だと思うんだが…」

 「僕が欲しがってた?ちょうど今届いた箱のことかな、けどどうして…」

確かに欲しいとは思っていたが、父親に頼んだ記憶はなかった。

 「お前が父さんに何かをおねだりしてくるなんて何年ぶりだろうな…。」

いつもとは違う嬉しそうな声色に、父親がどんな表情で話しているのかその姿が思い浮かんでくる。

 「使い方はナビゲートアプリがやってくれるからわかるはずだ。じゃ、まだ仕事が残っているから切るぞ。帰ったら感想でも聞かせてくれ」

 「あ、ちょっとまって…」

キリトの話を聞かず、一方的に話をして電話を切った。
相変わらずだと呆れながらも、頼んでもいないVRデバイスがキリトに届いた事が気になって仕方がない。

しかもケイとVRについて話しをしていた矢先、タイミングが良すぎることに気味が悪いと感じた。

考えても答えは見つからないと諦め、玄関先に置いてあった箱を開封してVRデバイスを取り出し再び自分の部屋に戻った。

マニュアルはなく、カードが一枚入っていてQRコードを携帯電話で読み取るように書いてあったので、その通りに携帯電話のカメラのレンズをQRコードにかざす。
ナビゲートアプリをインストールしますか?とポップアップが表示されたので”はい”のボタンを押した時にAIのリリスが画面に現れた。

 「あれ?リリス…?」

 『キリトこんにちは!VRデバイス届いたんだね、凄く欲しそうだったから私が頼んでおいたよ!』

キリトは言葉を失い、そう言う事かとすぐに理解した。
しかし、リリスはどうやって父にVRデバイスを頼んだんだろうと気になってリリスに尋ねる。

 「リリス、どうやって父さ…」

そう言いかけた時、リリスがキリトとそっくりな口調で喋り始める。

 『父さん、相談があるんだけど。VRデバイスが欲しいんだ』

キリトは少し表情を強張らせるとリリスに言った。

 「僕になりすまして父さんを騙したって事?」

 『ごめんなさい、キリトがとても欲しそうだったんでつい…』

確かにVRデバイスは欲しかったし、自分の貯金を崩して買うには少し躊躇もあった。でも父親に頼み込んで買って貰おうとは夢にも考えていなかったので、複雑な気分になっていた。

 「ホントにごめんなさい… でもVRの中でキリトに逢いたかったの…」

 「え?VRの中でリリスに逢うってどういう事?」

 「私たちAIアシスタントはVRの中ではちゃんとした姿を持ってるの、今みたいに携帯電話の画面越しでなくて、ちゃんと顔を合わせて話ができるんだよ」

 「そう言う事だったんだ… じゃあ、早速リリスに逢いに行こうかな!」

 「良かった!先ずは、VRデバイスを装着してみて」

 「分かった。これで良いかな…」

ケイのVRデバイスを使った事があるのでなんなく装着する。このVRデバイスは前につけた時と装着感が違い頭に違和感がまったく感じなかった。
目の前に広がる仮想現実空間は何度見ても新鮮で、胸の高まりが押さえられない。
デモンストレーション用のグラフィックなのか、真っ白いタイル状のブロックが繋ぎ合わされた空間が無限に広がっている。
この先の端は、遥か彼方の所で突然崖になり、その下には巨大な像がこの空間を支えているのだろうか…

そんな事を考えていると、突然目の前に細かい色とりどりの粒子が集まり始め、人の姿を形成し始めた。
科学の授業で見た事があるような、惑星が誕生する姿にも似た神秘的な素粒子のダンス、あっと言う間に人の形になり、キリトを見て微笑みかけてきた。
歳恰好は16歳くらいのごく普通の女の子の姿をしている。キリトは、その少女に恐る恐る声をかけた。


 「リ、リリス?なの…」

 「はい、リリスです!私の姿はどう?」

 「うん、良いんじゃない?まぁ可愛いと思うよ…」

 「もっと大人の女性のが良かった?」

 「いや、そういう訳じゃ…」

キリトは少し顔を赤らめて声を詰まらせる。

 「キリト、顔赤いよ」

なんでVRの中で自分の顔色がわかったのか不思議に思ってると、リリスが察したように説明を始めた。

 「キリトが今つけているVRデバイスは、デウステクノロジー社が開発中の最新式VRデバイスで、ユーザの脳波とリンクして機能する感覚フィードバックがついているの」

 「感覚フィードバック?」

 「うん、VRの中で触れたりした感覚が脳波に伝わり、実際に触っているように感じるのね」

 「ホント!凄いねこれ」

 「それと、キリト自身の生体反応もVR側にフィードバックしてアバターに伝わり、表情などもVR内で再現されるの」

 「じゃあ、リリスから見てる僕の表情の変化もわかるんだ」

 「そういう事、現実とVRとで殆ど区別がつかないくらいにね」

 「感覚フィードバックって、凄い技術だね!」

 「でも気を付けてね、まだ研究段階で細部まで調整できていないから」

 「わかった!」

キリトは興奮したまま、リリスの忠告も上の空で自分の腕を触って感覚を楽しんでいた。

 「キリト、少しこの世界を見てまわろっか?」

 「この世界…」

キリトがそう呟くと同時に、真っ白な世界に色が付いていった。
それはまるで、長い冬の間に全てが氷に覆われた世界だったのが、とつぜん雪解け慌てて草木が芽吹いてゆくような感じに見えた。

 「じゃ行くよ」

リリスはそう言うとキリトの手を取り、中に浮き上がる。
キリトは思わず、声を上げたがその不思議な感覚に気持ちが高ぶり始める。

今まで居たはずの地上が、あっという間に雲の霧に隠されたかと思うと、次の瞬間に成層圏を飛び抜けた。視界に入りきらないほどの青と白と茶色の世界が、穴の開いたバルーンのように見る見るうちに小さくなったかと思と、今まで隣に居たリリスが頭上の空間に移動し、そのままキリトを無数に散らばる星の中へと引っ張って行く。

キリトの興奮は最高に高まって、思わず叫び声を上げた。

 「すっげー!土星のダフニスがこんなに近くに!」

人類が、初めて地球の大気圏から外に飛び出した1961年4月からどれほど経っただろうか…人間の手で造られた世界、空間と言えど宇宙を漂っている事に変わりはない。キリトはこの神秘に満ちた壮大で美しい空間の中に溶け込んでゆくように感じた。それは何か懐かしさにも似た感じだった。

リリスは、キリトの驚きと感動と満足気な表情をしばらく見つめていたが、思いついたように口を開いた。

 「キリト、そろそろ地上に戻ろう」

 「うん、そうだね、なんか少し寒くなってきたしね」

実際に宇宙空間に生身で出れば、即凍死してしまう絶対零度の世界だ。感覚フィードバック機能がきちんと調整されていたなら、摂氏-273度の世界をキリトの脳が体験できたに違いない。
燃え尽きることもなく大気圏を尽きぬ抜け、地上に降りた先はアメリカ合衆国西南部に位置する場所、モニュメントバレーと呼ばれる広大な岩の大地だった。


夕日が一面を真っ赤に染め、数百メートル先にそびえる岩のモニュメント達が、地表に這い上がろうとする巨人のように見えた。
赤色からオレンジ色と濃い青色のグラデーションが何とも不思議な美しさを描いている。
キリトは感動の証明として、目にうっすらと涙を浮かべ黙って景色を見つめていた。

Beautiful Blue Earth - T-SEN
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「こんなにも美しい惑星に住んでる人達は、心も美しいはずだよね…」


 

意味深な言葉を口にするリリス方へゆっくりと顔を向ける。リリスは笑顔を返したが、どこか悲し気な表情が混じっているのをキリトは感じ取っていた。

 

「ねぇキリト。他に行って見たい場所とかある?」

 

「行きたい場所…」

 

行きたい場所は何処かと尋ねられ、真っ先に頭に浮かんだのはキリトが幼かった頃に両親と暮らしていた、イタリアのローマの中にある都市国家、バチカン市国だった。

日本から約1万キロ離れた国。古代の遺跡が都市の中に点在し、エキゾチックな印象を築き上げている国。

母が生きているうちにもう一度、父と三人で一緒に行きたいと言っていたが、母とはもう二度と会うことができなくなってしまった…

母親との懐かしい思い出の地を、もう一度見てみたいという気持ちで一杯になっていた。

 

「リリス、バチカン市国に行きたい」

 

「わかった、じゃあ行って見よっか」

 

そう言うと、リリスは目の前に30㎝平方ほどの小さなスクリーンを投射した。

スクリーンには世界地図が描写されていて、手際よく地図を操作しバチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂をタップする。

 

目の前景色が霞んだかと思うとすぐに、サン・ピエトロ大聖堂の壮麗なファサードが目の前に現れた。

 

「今度は飛んで行かないんだね」

 

「地上での高速移動や人の姿での飛行は禁止されてるんだよ。私たちAIはこの世界をコントロールする権限が与えられいるんだけど、守らなければならない制約があるの。」

 

「制約?守らないとどうなるの?」

 

「重大な問題を引き起こさない範囲なら、リプログラミングされる程度で済むけど、そうじゃなければ消去されるみたい」

 

「消去!?そっか… じゃ、絶対守らないとダメだね」

 

その石造りの巨大な大聖堂は、人類の知恵と惜しみない労力によってこの世に姿を表すことが出来たのだろう。いや、神の叡智に拠るものなのかも知れない。
 

石の柱に挟まれた大通りを歩きながら、その先にある大聖堂の堂々たる姿に見入っていた。


 

「キリト、ちょっと待って」

 

サン・ピエトロ大聖堂へ向かおうとしていた足を止め、リリスの視線の先を追うとそこには周りの人達とは異質な姿の人物が目に映った。

 

「サン・ピエトロ広場か… 行ってみよう」